タロヤがまだ幼い頃

道路に咲いている小さな花を見て

「綺麗だねー」

と優しくニッコリ微笑んでいた。

 

私といえば、保育園の送迎中。

時間に追われて、タロヤが花を見つけて立ち止まったことに苛立っていた。

小さな花が目に留まっても、綺麗だと感じることもなく、何の印象も抱かない。

 

本当は、もう早く先を急ぎたかったけど、それではタロヤが可哀想なので

「綺麗だね」

と相槌を打ちながら、私も花を見た。

 

じっくり見ても、綺麗とは思えなかった。

横のタロヤは、まだ花に見惚れて喜んでいるのに。

 

その時、なぜ同じ花を見てるのに、こんなに印象が違うんだろうと不思議に思った。

人が綺麗と感じるものに個人差があるのは当たり前だけど、それだけではない。

これは花そのものの意思だと感じた。

 

花はタロヤに「綺麗」という感情を与え、私には与えなかった。

タロヤが感じた「綺麗」という感情は、花からタロヤへのプレゼントだ。

 

だけど子供は「綺麗」だと思ったら、花を自分のものにしようと採ってしまう。

すぐに枯れる。

その時タロヤが花を採ったかどうか忘れたけど、なぜ採られる確率が高まることを花がするのか、長年の謎だった。

 

今日食物連鎖の事を考えて、陸に生きるものは植物がないと生きられないんだよな?とふと思った。

植物は土と水と太陽があれば生きていけるけど、植物以外は植物がないと生きていけないよね?

じゃあ植物って何気に陸を支配してるのでは?

採られるとかいう発想は植物にはないんだろう。

 

・・・もうよそう。

旦那は今日も帰宅が遅い。

 

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