スピリチュアルが嫌いな方いらっしゃいますよね。

偏見を持たれる方も多くいらっしゃいます。

少し悲しい時もありますが、私もスピリチュアルに疑問を感じることも多くありました。

 

例えば

『若くして亡くなった方は、自らそういう運命を選んでいた』

という話は、スピリチュアルにはよくありますよね。

 

だから、仕方のない事だったのだから、悲しむなと。

私は正直、この言葉をはじめて知ったとき傷つきました。

防げたかもしれないのに、未来が用意されていたのに、仕方ないで

済まそうとするのはおかしいんじゃないかと。

それに、自分が死んだ後に自分自身がそういう運命を選んでいたと判明するなら

この世に未練を残し留まっている霊がなぜいるのか?と疑問でした。

 

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最近、ルドルフ・シュタイナーさんのスピリチュアルに関する本を

読んでいたのですが、同じく

『若くして亡くなった方は、自らそういう運命を選んでいた』

と書いてありました。

しかし、それはあくまで著者が霊視した結果で、霊界を勉強する方を対象に

知識の一つとして書かれています。

人を癒したり慰めたりする言葉ではないんです。

専門分野の専門知識です。

仮にシュタイナーさんが人を慰めるための言葉としてその事実を伝えるとしたら、その他の霊視結果も含め、全く違った心の篭った暖かい言葉になっていたと思われます。

そうして遺族の方に許可を得たからこそ、専門学的な一つの霊視結果として発表した経緯も伺えます。

 

大体、『自らそういう運命を選んでいた』というのは、その言葉自体がすでに専門用語のようなものではないでしょうか?ある程度霊界について学び知識を深めた人でないと、その言葉の本来の意味を理解することが難しいと思います。

私も理解できなかったので、この世に未練を残し留まっている者と、『自ら』を混同していた訳ですし。

 

どの分野でも、知識を深める為の学びや勉強と、クライアントに対する言葉を同じ言葉として使っていては、誤解が生まれて当然だと思います。そんなことはしませんよね。

スピリチュアルの知識は、悲しみを癒すための目的で学ぼうとすると

傷ついてしまう人が多いのも事実ではないかと思います。

目に見えない世界には言葉がないので、それを言葉に表現すること自体が難しいですが

だからこそ、初歩的な知識では、鵜呑みにせざるおえない言葉よりも、現実面で生かせる納得できる言葉を重視して伝えた方が良いと思うのです。

運命が決まっているのか、いないのかよりも

突然の死が防げたものなら、今後同じような被害に遭われる方のないように社会を変えていかなければいけません。亡くなられた方を偲び、慈しみ、残された者は、よりよき未来を築いていかねばならない。

という言葉を念頭に置いて、重視した方がいいと思うのです。

スピリチュアルでなくても言える言葉かも知れませんが、スピリチュアルにとっても大切なことです。シュタイナーさんの著作にも、このような言葉が何度も出てきており、そこを重視するように書かれています。

 

本来、スピリチュアルは自己の内面を充実させ、現実の生活により良く生かす為にありますよね。

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